胃なしケイコの【日日是散歩】(にちにちこれさんぽ)

36歳で胃がん(印環細胞癌)に 胃と胆のう全摘から10年目の記録

最高の死に方についてイメトレしてた私と愛猫の死 前編

 

何かひとつだけ願い事を叶えてあげると言われたら

お願いすることは決まっている

 

「私が考える理想の死に方で死なせてください」

 

そこさえ叶うのならこれから先の人生がどうなろうとも

「大丈夫。私は最後は私の望み通りに死んでいけるから」と

余裕を持って全てを受け入れることができる気がする

 

10年前に胃がんになり胃と胆嚢を全摘する手術をしたときから、死は私にとってはとてもリアルなことになり

時間は私にとってとても貴重なものとなった。

自分の意思で体をコントロールできることが当たり前でなくなる時が来ることもわかった

 

手術をする前には食べたいものリストを書き出したし、最後に食べたいものを真剣に考えた。

術後5年経過までに「行きたいところリスト」「会っておきたい人リスト」「食べたいものリスト」を手帳に書き出して

毎年更新した。

 

印環細胞癌は他に転移することなく私は術後10年を迎えることができた。

この頃から自分の理想の死に方について具体的に想像するようになり、

手帳に書き出すようになった

 

【私の理想の終わり方】

お風呂(温泉)にのんびり入って体をきれいにし、湯上がりのお酒を1杯

美味しい食事(最後はしゃけかたらこのおにぎりとお味噌汁で〆)を大切な人たちと笑いながらいただく

 

縁側で夜風に当たりながら月か星を眺めてから

爽やかでちょっと苦味のあるレモンシャーベットを一口食べて

最高級のジャスミン茶を一口飲んで

お日様の匂いがするふかふかのお布団に入る

 

ピアノの演奏で『人生のメリーゴーランド』を聴きながら

今までの自分の人生に思いを馳せる

お腹の上には猫のそうちゃんが乗っかっていて撫でてあげるとゴロゴロと喉を鳴らしている

 

「ありがとうね」

「おやすみ」

「またね」

 

そういって、見守ってくれていた大事な人たちとしっかり握手して

眠りにつき

 

そのまま天国へ

 

..............................

行けたらいいな〜

 

こうやって書き出してみるとなんてシンプルなんだろうって思う。

 

食事代だけなら1万円もあればお金は足りそうである

家でなくて高級旅館に泊まったとしても10万円くらいあれば足りそうである

 

そんなものかぁ

 

こんな風にいつも死に方についてイメトレしていた私が

18歳の愛猫の死と向き合うことになった

 

そうちゃんは私が18年前に転勤で行った大阪で、当時の元カレが突然貰ってきてしまった猫である。

私は実家で犬は飼っていたけど、猫は苦手で触ることもできなかったから

「なんで私が苦手だって言ってたのに貰ってきちゃったの!私は触れないから一切面倒みないからね」と

宣言して

 

当時、スリッパに入るほど小さくてめちゃくちゃ可愛かったはずのそうちゃんに指一本触れるっこともなく

むしろ避けていたくらいだった

 

それから1年が過ぎた頃、私たちは別々に暮らすことになった

私は地元に戻ることになり

彼が新しく暮らすところでは猫を飼うことはできないから誰かに引き取ってもらわないと・・・

と言われた頃には

私の中にもそうちゃんへの愛着が湧いてきていたから

「じゃあ、私が引き取るよ。その代わりもう2度と猫を飼ったりしないでよ!最後まで責任持てないなら」

怒りながら言い放って、そんな言い方しなくてもいいじゃないかと言われたのを覚えてる

 

そうは私たちが喧嘩をして別々の部屋にいると

普段はそんなことしないのに仲直りするまで

布団におしっこをして抗議した

 

私は大阪から部屋探しをして、とにかく猫が飼える新築のマンションを探した。

自分は見に行っている暇がなかったから、新築だったら大丈夫だろうと母と妹に内見してもらって、

契約をしてもらった。

 

大阪では広い家でのびのび暮らしていたそうが、そこまで仲良くなっていない私と

1Kの部屋で暮らすことになってストレスが溜まったのか

反抗期の子どものように暴れたし、私の腕はいつも噛まれたり引っ掻かれたりして

傷だらけだった

 

「動物病院の看護婦さんみたいな手ですね」って言われたこともあるくらい

 

そうは大阪から持ってきたキャットタワーの上に乗っていつも窓の外を眺めていた

 

その頃飲み会が多くて帰ってくるのが遅かった私に

「あんた いい加減にしいや!!」って呆れながら怒ってくることもあったし

 

私が失恋した時は

「そうちゃーん、ふられちゃったよ〜」って号泣しながら抱きついて

慰めてもらったこともあった

 

赤ちゃんみたいだったそうが段々と同志のようになっていった

 

結局そうは4回引っ越して私の実家に落ち着いた

実家で飼っていたシェルティーが亡くなるのと入れ替わるように

そうが家に来たので

両親はそうを可愛がり、癒されていた

 

母はそうのためにいろんな餌を飼ってきて 一番お世話をしてくれてたので

段々と私より母に懐くようになり

寝る時は母のベッドに行くようになった

 

父も朝起きると「そうちん、おはよう」と挨拶をして手荒に可愛がっていた

実はそうが毒味という名目のもと先にちょっと飲んでる牛乳を知らずに毎朝飲んでいた

私が実家を出てまた一人暮らしするときにも

「そうまでいなくなったら寂しいいから、そうは置いていけ」と言ったほど可愛がっていた

 

そんなそうも今年で18歳になり、子供がいない私にとってはそうを20歳まで育てて成人式をすることが

使命のような気がしてきていた



 

 

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へと続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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