胃なしケイコの【日日是散歩】(にちにちこれさんぽ)

36歳で胃がん(印環細胞癌)に 胃と胆のう全摘から10年目の記録

まさかのトケツ

<過去日記> 2011年11月16日(水)

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前兆はあった。

 

ブログにも書いていたけど、仕事をしていた時からみぞおちの辺りが痛くなることがあって、

会社の薬箱にある胃薬を飲んでみたり、家の胃腸薬を飲んだりしてなんとなく誤魔化していた。

 

去年の今頃も3ヶ月くらいずっと胃が痛くて毎日胃薬飲んでいたけど、どうせ軽い胃炎だろうくらいにしか思っていなかった。

 

仕事が休みに入ってから、ストレスと無縁の生活を送るようになったのに何故か胃が痛かった。

台湾旅行には胃腸薬を大量に持っていいって、食事の度に飲むようにしていた。

帰りの飛行機ではかなりグロッキーになり、機内食どころか飲み物さえ飲まずにひたすら寝ていのでCAさんに心配されてしまった。

疲れが出たんだろうくらいにしか思わなかったけど、その後3日間くらいぐったりとしていた。

 

重い腰を上げてジムへ行ってホットヨガをやる。

本調子じゃなかったから、あんまり無理をしないようにした。

 

次の日の朝、真っ黒い下痢をした。

 

「昨日なにか黒いもの食べたっけ?海苔?夜ラーメンにのせたけど、それくらいでこんなにならないよね〜」なんて母に言う。

 

「黒いものなんて食べてないわよ。血便じゃないの?あなたこの間から胃が痛いって言っていたじゃない!病院行かないと知らないわよ!!」

 

「血便か〜怖いな。さすがにこれだけ胃が痛いとおかしいかもしれないから、来週胃カメラ予約しようかな。すぐ診てもらえるかな」

 

なんて言いつつ、金曜日もホットヨガのクラスに出た。

 

シャワーを浴びたときいつもより体がだるく、貧血ぽかったのでサウナもあまり入らずに帰ってきた。

金曜日も真っ黒な下痢をしたので、ネットで血便について調べてみる。

やっぱり、そうだ。

だから貧血になるんだな。やっぱり胃カメラの予約をしよう。

 

土曜日の午後、台湾旅行のお土産を渡しに幼なじみのTちゃんのところへ自転車で行ってきた。

ちょっと貧血ぽいな〜と思ったけど、そこまでひどくはなかった。

食欲はなくて、朝はちっちゃいパイナップルケーキをひとつ、昼はお味噌汁しか飲めなかった。

 

出かけるとき、母は

「あなた顔色悪いわね」と言っていた。

 

Tちゃんの家でリンゴとコーヒーをごちそうになって帰ってきたのが17時ごろ。

 

自転車に乗って帰っている途中でなんとなくフラフラする。

あれ〜なんかハンドルが持ってかれるな〜と思ったけど、信号で止まった時、自分がひどい貧血になっていることに気がついた。

 

やばい・・・意識がもうろうとしてきた。

とりあえず、道路に飛び出さないように歩くか・・・歩こうとすると足がもつれる・・・

あぁ、この感じは石垣島で倒れた時と同じだ。

まずい、こんなところで倒れるわけには・・・

 

とにかく気をしっかり持って、自転車で家までなんとか辿り着いた。

 

家についてから靴を脱ぎ棄てるようにして階段を這って上がってトイレに駆け込む。

そこで頭をガーンとぶつけて倒れた。

 

一瞬意識を失っていたみたいだけど、ここで倒れていても誰も気づかないだろうと

また這って父がいる所へ行った。

 

「お父さん、お父さん、ちょっと助けて・・・きもちが悪い・・・」

 

本を読んでいた父が

「なんだ!どうしたんだ!気持ち悪い?ちょっと待ってろよ!!」

と言って、洗面器と新聞紙を取りに行っている間に

 

私は力尽きてうつ伏せに倒れこんでしまった。

 

そして、自分の意思とは関係なく何やら真っ黒いものが口からドバーッと出てきた。

 

戻ってきた父が

「なんだこれ!おまえ血じゃないか!!どうしたんだ??救急車呼ぶか??」

 

自分でもその物体を横目で見てぎょっとする。

なんだこれ?

 

さっきTちゃん家でごちそうになったコーヒー?

それにしては真っ黒だぞ。

 

父に帰ってくる途中で意識がもうろうとして、トイレで一度倒れたことなどを説明すると

すぐにかかりつけの先生の所へ電話をし始めた。

病院は終わっている時間だったから、先生の個人携帯にかけたみたい。

 

そこで先生に状況を説明すると、吐血したものがどれくらい赤いか聞かれた。

 

鮮血が大量だったら救急車を呼んだほうがいいらしいけど、そうじゃなかったらとりあえず吐くもの全部吐いて安静にしておくように言われた。

月曜日の朝イチで胃カメラで診てくれるそうだ。

 

その時私はまだ自分が血を吐いたとは思っていなかったけど、後でティッシュで拭き取ったのを見たらやっぱり黒くなった血と赤い血の塊だった。

 

なんてこった・・・

 

とりあえず、貧血がひどいので寝る。

吐血したら絶食しないといけないらしいので、ひたすら何も食べずに寝続けて月曜日の朝を待った。

 

とても病院に歩いていける状態じゃなかったので、車で送ってもらって病院へ。

 

「初」胃カメラは私の想像を絶する気持ち悪さで、涙と鼻水でぐちゃぐちゃに。

自分の中ではカメラの映像を見ながら、あ〜ここが潰瘍ですか〜なんて余裕で会話できると思っていたのに、

もう、息をするのがやっとでなんどもオェーーーっとなる。

その度に、先生と看護師さんに

「ゆっくり息して〜力抜いて〜」と言われるが

一体どこの力を抜けばいいのかもわからず、早くこの状態から解放してくださいとしか思えなかった。

そして、やっとそのチューブ地獄から解放された私に先生が

 

「そりゃ、血も吐くわ。痛かっただろ。まったく無理して〜」

 

ここにこんだけ潰瘍ができてるからって説明をしてくれた。

 

最初、入院かもって言われていたので最悪・・・と思っていたけど

 

「先生、入院は?」って聞いたら

「うん、とりあえず薬で様子見てみる」

 

はぁ〜 よくはないけど、よかった。

入院なんかで自分の大事な時間と貯金を減らしたくない。

 

そんなこんなで、家で安静にしています。

安静にしろって言われても、そんなにじっとしていられないだろうと思っていたけど、

やっぱり体は弱っているらしく、何かを口に入れるとその後は横になっていないと胃が痛いのでじーっと耐える。

そのまま眠る。

その辺の赤ちゃんよりよく寝ていたのがよかったのか、今朝待望の普通のう○ちが出た!

5日ぶりだ・・・

バンザイ!

 

出血が止まったということだね。

もう、絶対に無理はしないと心に誓いました。

 


 

この時はただの胃潰瘍だと思い込んでいた私の日記

しかし、この日の夜 私の知らないところで両親は先生に呼ばれて病院に行っていた

と言うのを後で知ることになります。

 

実は私は30歳から7年間ブログで日常生活を書き留めていました。

胃がんが発覚したこの年はダイエットをしていたこともあって、毎日食べたものなんかも詳しく記録していたり。

後から読み返してみると、時どき体の異変について記していることがあったり。

 

いつかこのブログをまとめて本にしたいなぁと思っていたけど、できるときにしておかないと意外と時間はないんだと感じ

 

ブログは一旦クローズして、コツコツと文章と写真を編集して術後1年くらいには分厚い文庫本6冊分になりました。

 

ブログ自体はもう残っていないので、この日記もその本を手にとって見ながら書いています。

 

そして【胃なしケイコの日日是散歩】は、この吐血した日より過去にさかのぼったり、「今」の私に戻ってきたり時系列が変わりながら進んでいきます。

 

次のブログで「告知」について書いていきます。

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